月下に眠るキミへ
 


     8


がらんとしていた場所だけに、突然捲き起こった異様な騒動の轟きもそれは良く響いたに違いなく。
銃声という物騒な物音の後に飛び出して来た人影には、
唐突に訪のうた自分たちを迎えてくれた警備担当の方々も
徹底した鍛錬を受けている本職のガードマンではないのだ、
さすがに取り押さえようとなぞしなかったようで。
その判断を賢明だと見取った太宰、それどころではないながらもこそりと安堵。
そんな彼らがサッと目配せして、賊が駆けて行った方を差されたのへ短い目礼をやって、
危険な武装をしたままの不審者の後を芥川と二人で追う。
爆発物を設置したあの空間に
息をひそめてずっと居座っていた相手の真意がなかなか掴めなんだが、

 “さすがに此処は失敗するわけにはいかない場所だったということか。”

人の出入りが多い、しかも全国区級で著名な場所。
あの程度の規模の爆発物が弾けたとて、しかも地階に寄ったあんな奥まった位置では、
広々としたロビーやちょっとした小物雑貨を扱うテナントが展開する一階や上階には
せいぜい微弱な地震か、若しくは小さなガス爆発でも起きたかなという
軽微な地響きしか伝わりはしなかったはずではあるが。
破壊は二の次、マフィアを陽動するための騒ぎが起きることが主眼目だったのならば、
確実に起動させたかったという固執も頷けなくはなく。
何なら自身が唯一の被害者として共に亡くなるような、
嘘寒い殉職を希望していたのかもしれぬという妄執の徒を、
かつて身を置いていた黒組織の元部下と 二人で追うのも巡り合わせか。

 「表へ出る前に押さえますっ。」

先程辿ってきた小径、そこをこの速さで突っ切って飛び出されては、
このホテルの前庭へ、いわんやその先の外の街道へ至ってしまう。
平日でも結構な人通りのある場所だけに、
そこへと血相変えた狂人もどきに紛れ込まれてはやはり騒ぎとなってしまおうし、
マフィアの顔である芥川もあからさまには手を出しにくい。
其処へ至る前にとの判断を下したそのまま、
風のように駆けながら黒外套の衣嚢へ手を入れた彼は、
しっかと見据えた前方へ上体をやや屈めると、その身から一気に放たれるのは漆黒の鉾。
銃や砲台での射出もかくやという素早さで黒獣が前方の標的へと飛び掛かる。

「…っ!」

あのような場所にひそんでいたが故のカモフラージュだろう、
グレーの作業服をまとった男は、脚や腰、胴回りをあっさりと絡め捕られ、
不意な足掛けを食らったようなもので、その場でずでんどうと転がってしまった。
咄嗟のこととて、傍らの椿の生け垣に縋ろうと伸ばされた手には銃もなく、

 「ーーーっ。」

何事か叫びかかった口許へも黒衣が転じた黒獣がまといつき、
あっさりとその声を封じてしまったため、
叫びを聞いてとりあえず、
何だ何だと好奇心の旺盛な人が集まってくるような展開も免れられたようで。

「そのまま抑え込んでておくれよ。」

現在は軍警の支援活動中ゆえ、
準捜査員待遇となり手錠による身柄拘束も可能な太宰が、
黒獣により手際よく羽交い絞めにされ、地べたへ叩き伏せられた不審な男へと駆け寄ってゆく。
確かに銃を撃ったはずだと、衣服をあちこちまさぐったが、
あれほどの乱射を示した銃器はどこにもなく。
辺りをせわしく見回せば、傍らの茂みの端に鈍く光るいびつな小銃が引っ掛かっていた。
身柄をその筋へ拘束された折、
いかにもな凶器を持っていては不利だと、ちゃんとその身に刷り込まれている辺り、
過激な犯罪集団の一員であるには違いないようで。
爆発物への関係者だというのみならず、虎の少年を撃ちもした忌々しい実行犯なのへ、
今になって腹立たしさが頭をもたげたか、
やや荒々しい手際にて、後ろ手に両の手を重ねさせ、
外套の衣嚢から取り出した手錠にて身動き出来ぬよう拘束する太宰であり。
ずんと怒っている証拠、その美麗な顔をこれ以上はなかろう程に笑みで塗りつぶしている辺り、

 “一周まわって感情豊かなお人なのは変わらぬな。”

もうよかろうかと断じ、男を拘束していた黒獣をするすると引き上げさせる芥川も、
実のところは師匠と似たような苦々しさを胸中に抱えており。
太宰の目がなかったならば、死なない程度にその身を引き裂いていたやも知れぬ。
ああちょっと勢いが余ってしまったなぞと、白々しくも口では言いつつ、
先刻、あの少年を傷つけたこ奴に何倍もの痛みを注いでやったのにと、
そこは残念に思う辺り、この師にしてこの弟子ありというところかもで。

 「軍警の応援を呼ぼう。」

こうして身柄確保にじっとしているなんて冗談じゃあない。
ここいら付近へも連絡の行った顔ぶれが索敵に出ていようからと、
太宰はこの件の直接の所管となった本部への連絡を取る。
まずはと確認した携帯端末には他の場所での爆発物の撤去の報が幾つか届いており、
実行犯とでもいうべきか、
あちこちへ爆発物を仕掛けていた実働部隊らしき顔ぶれも数人ほどが身柄確保されてるらしく。
初動捜査がずば抜けて速かったその上、超人並みの的確さだったが故に、
こたびの騒動は世間様的には“無かったこと”扱いに出来そうな結果となりそうな展開だ。
通話先である本営へこちらの場所を告げ、身柄確保した容疑者を引き取りに来てほしいと告げれば、
数分もかからずに移送車を向かわせるとのこと。
よろしくと応対し通話を切ったものの、

 “……ん?”

遊歩道の飛び石のように、若しくは石けり遊びにと描かれた輪っかのように
ちょっと大きめの石面が連なって並んだ石畳の上、
頬を押し付けねじ伏せられた相手が、
だが、どういうわけかうっすら笑っているのが目に付いた。
このような矮小な小道であるにもかかわらず、
此処の関係者だろうか、遠巻きに覗き込む人々はいて、
輪を作り、だがだがそれ以上は近寄らない野次馬の人垣を掻き分けて、
この捜査に携わる警官だろう、制服の巡査と顔に覚えのある刑事とが駆けつける中、

 「…まさか。」

嫌な予感が太宰の胸元へ振りかかる。
ポケットで唸り始めた携帯端末。
手に取りながら、表からやっと駆けつけた警官らと目配せし合い、
手帳の指示をしあって身柄の証明をしてのち、確保を代わろうと手を伸ばす巡査に任せて立ち上がる。
刑事殿へ、聴取は後程と早口で告げてから、
いつの間にか姿を消している芥川を探して視線を回せば、
先程飛び出してきた方向に黒外套の裾が消えるところ。
感じたことは同じかと、自分もそこへ駆け入れば、
道の先、ホテルの裏口へ至るすんでのところに彼が立っており、
搬入用の通用口にはガードマンらしい制服姿の従業員らが数人集まってその奥を動揺しつつ見やっている。
さすがに不審者にあたろう自分が寄っては騒ぎになると考慮してか、
じりじりした雰囲気を孕ませて立っている黒衣の彼の横をすり抜けてそちらへ向かい

「どうされました?」

先程 鍵を受け取った主任格の男性もいたのへ声を掛ければ、
こちらの姿へ多少はホッとしたように表情を落ち着かせ、

「スプリンクラーが作動しているのですよ。」

火災発生かと集まったほかの従業員らへ、
彼だけは捕り物があったのかもと案じ、他の従業員らを何とか説き伏せて様子見していたらしく。
ガタゴトと乱闘中らしい物音もしていたとの声には、

 「……っ。」

待ってなぞいられなかったか、
黒い影が疾風のように彼らの背後を吹き抜けて、問題の配電盤室へと駆け付ける。

 “そうか、あの男はおとりか。”

居残らせるのではなかったと、自身の読みが裏目に出たことへと歯噛みする。
たった今ねじ伏せたあの輩は、実はあの場に居た自分たちを外へと誘いだすことが目的だったのだ。
その真の目的は…太宰の外套のポケットにてわめいている端末も伝えている。
なかなか出ないと察したらしく携帯への通話呼び出しはメール着信へ変わっており、

 【不覚だった、各員一旦離れた設置場所へ再確認に戻れ。
  表明文の最後、消した跡が影になってた処には何か記した痕跡があって、
  D.C.と読み取れた。
  ダ・カーポ、最初へ戻って繰り返すという音楽記号だ。】

馬鹿正直に最初というわけではないかも知れぬし、どれが最初かはこちらには判らない。
他の社員へも同じ文面が届いているのだろうが、こちらはそれどころじゃあない。
オトリを使い、対処を取った彼らを外へおびき出した者がいたほどなのだ、
此処がその本命、規模の大きい爆発物を再度設置された地点に違いなく。

「敦くんっ」

ああ、追って来いと言った方がよかったのだと、
ほんの数刻前の自分が出した指示を恨めしくも後悔する。
勢いよく突進して、黒獣にてはぎとられた格好の鉄扉が倒れ込んだ先。
スプリンクラーによる霧雨が、
どうしてだかもうもうとした湯気のようになって漂い出て来ており。
中は途轍もなく冷え切っているではないか。そして、
見知らぬ男の足をしっかと掴み締めたまま、床に頬をつけ倒れ込んでいる少年がいて、

「人虎っ。」

この子には珍しいほど声を張り、相手へ駆け寄りかかった芥川だったのへ、
だが、何とか肩を捕まえて触れるのを制す。

「昏睡状態にあるなら揺すっちゃあいけない。」

壁際に設置されていたボンベへ目をやる。
そうだった、此処はポートサイドホテル。ナオミ嬢が昼休憩で話していたじゃあないか。
最上階の有名なレストランで饗されるスィーツバイキングでは、液体窒素を使った華やかな演出があると。

『液体窒素で材料を凍らせて、目の前でシャーベットを作ってくれますの。』

ボンベにはN2と黒々記された表記があり、
大概のものを凍らせることが可能なそれは、爆発物の解体にも使えると、ここへの道々話したばっかりで。
この忌々しい真犯人と面と向かった敦くんは、それを思い出した末、
相手の手にあったブツを使用不可にし、逃がさぬとしがみついたに違いない。

 液体窒素が勢い良く吹き出している間近にて

のちの取り調べで判ったことだが、
こやつこそ不審な爆破宣言書を軍警に送り、その実、マフィアを捉えさせんとしていた組織の頭目、
壁を通り抜けることが出来る異能を持つそうで。
手に触れているものは無機物も有機物も同じ効果を持たせられ、
何となればそんな隔てのある場から手を伸ばし、障壁を通過させて引き込むことも可能だとか。
それで鍵がかけてあったこの空間へも施錠されたまま入れたのだろうし、
あのおとりの男は後から招いて、
我らを此処から駆け出させるためのネズミとして放つべく駆け出させたか。

「低体温からの昏睡状態にあるのなら、乱暴に扱うと心室細動を起こしかねない。」
「…っ。はい。」

どんなアスリートでもその生命をついばまれる不測の症状、
不整脈の極端なものというくらいは理解があったようで。
だが、このままにもしておけぬと、縋りつきかけた手を引いた彼は、すっくと姿勢を正し、

「床の方を薄く削いで持ち上げます。」

容疑者の方も昏倒しているが知ったことじゃあない。
その身にまとう外套からするする滑り出した黒獣を薄く尖らせ、
床に張り付いているのだろ、虎の少年の身の下へ慎重に差し入れ、
床材の方を抉る格好で一気に剥がしとる。
ばたりと落ちた容疑者にはやはり見向きもせず、
やや浮いた格好のままで保たれている少年の血の気の引いた口許へ手をかざし、
呼吸は何とかあるのを確認すると、

「そのまま探偵社まで振動を与えずに運べるかい?
 与謝野先生へは連絡して準備にかかってもらう。」

切迫した表情で早くも携帯を手にする太宰の言へ、芥川もこくりと頷き、

「承知。」

応じた声が消えぬうちにも、長々伸ばした黒衣の先端をどこぞかへ打ち付けたのだろう、
そのまま疾風のごとくに姿を消した。
宙を滑空する形での跳躍移動を選んだ彼だったようで、
楔のように撃ち込んだ黒獣を支点にし、大きな反動をつけての滑空は、
障害物がない中空を直線コースでゆくのだから迅速に移動出来ようし、
黒獣でくるみ込まれた敦を揺らさぬようにという集中もしやすい。
優雅な空中散歩なんてとんでもない、
高層ビルヂングの屋上を渡り飛び、一直線に駆けてゆく疾風怒濤という勢いの道行きを見送りつつ、

 「…あ、与謝野先生ですか?まだ社にいらっしゃいますか?
  今から芥川くんが昏睡状態の敦くんを連れてきます。
  急速な体温下降による仮死の状態かもです。準備をお願いします。」

 【判った。】

その頼もしさを現すよに、短いがしっかとした応じを返されて、
太宰は端末を拝むように見据えると、そのまま彼もまた駆け出していた。



 to be continued. (17.11.28.〜)




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 *此処からこそが書きたかったところですが、
  実は年末進行の影がとうとう見えてきたようで。
  クリスマスまでには決着したかったなぁ、とほほ…